おはようございます、村田・勇一です。
最近ひまわりノートでお客さんからこの質問が多いので、ブログで詳しく書こうと思います。
「村田さんは何でオムライス屋さんをやろうと思ったんですか?」
ノートでは全部は書ききれないので、少し長くなりますが、よければ最後までお付き合いください。
「飲食の道に進もう」と決めたのは、高校生のときです。
高校生の頃、自分の将来を考える機会が増えてきて、
「スーツを着て、パソコンに向かって、会社に出社して…」という働き方が、どうしても自分にはしっくりきませんでした。
どこか体が拒否するような感覚があって、早々に「それは無理だ」と思ったんです。
じゃあ何をしたいのか?
その時にパッと出てきたのが「料理」でした。
食べることが好きだったし、家でもオムライスは自分で作っていました。
おばあちゃんに作り方を教わりました。
玉ねぎを炒めて、卵でご飯包んだりして、チーズ入れてみたり、昨日の晩御飯の残りのカレーをかけてみたり、自由に楽しく料理をしてました。
今思えば最初の原点だったのかもしれません。
高校を卒業して調理師専門学校に入りました。
そこでは料理の技術だけじゃなくて、「料理人として、どう生きていくか」という話もたくさん聞きました。
中でも強く覚えているのが、先生の友人の話です。
「20代のうちに、自分の店を持つことにこだわって、実現させた人がいる」
そう聞いて、当時の僕は単純に「カッコいい」と思いました。
現実味はなくても、どこかで「自分もそうなりたい」と思ったんです。
それは憧れであり、目標であり、将来の一つの形でした。
専門学校を卒業して、最初に就職したのはホテルの調理場。
その中でも、結婚式の料理を担当する部署を志願しました。
一生に一度の大切な日に、自分の作る料理が花を添える。
そういう仕事に関われることが、素直に素敵だなと思ったんです。
でも、そこで働いてみて気づいたのは、
「お客さんの顔がまったく見えない」ということでした。
どれだけ頑張っても、その料理を食べた人の表情も、言葉も、自分には届かない。
それが思った以上に自分のモチベーションを下げました。
「自分は、誰のために料理を作ってるんだろう?」
そう考えるようになり、転職を決意しました。
このとき、「やっぱり、自分のお店を持ちたい」という気持ちが、確信に変わった気がします。
次に選んだのは、オムライスの専門チェーン店でした。
子どもの頃から大好きだったオムライス。
高校の卒論で「オムライスについて」書くほど思い入れがあって、自分の料理人としての土台にあるものです。
ただ、そこで出会ったのは、また別の壁でした。
ある日、上司にこう言われたんです。
「お前のミスのせいで、俺まで迷惑がかかって、うちの家族が養えなくなったら責任取れるのか!」
…正直、心が凍りました。
今なら、「それくらいの覚悟でやれ」という意味だったと理解できます。
でも当時は、「自分はこの人の“道具”なんだ」と感じてしまい、一気に気持ちが冷めてしまいました。
「料理で人を幸せにしたい」と思ってこの世界に入ったはずなのに、
そのために働いているはずなのに、
上司と上司の家族の為に僕は頑張らないといけないのか…と疑問を感じるようになりました。
こうした経験が重なる中で、ふと振り返ってみたら、ずっと心のどこかにあった「自分の店を持ちたい」という思いが、もう、ただの夢ではなくなっていました。
本当にやりたかったのは、自分が大好きなオムライスを、自分の言葉で、お客さんの顔を見ながら届けること。
もちろん、リスクはあります。
お金も、時間も、保証もない。
だけど、それでも僕は、やりたかったんです。
なぜ「オムライス屋さん」なのか?
さっきも少し書きましたが、オムライスは僕にとって“特別”な料理です。
子どもの頃からずっと好きで、自分でも作っていたし、味や見た目のバリエーションも豊かで、どんなソースをかけるか、どんな中身にするかで、自分の好きにアレンジすることが出来ます。
そして何より、オムレツを割って開く瞬間が楽しいし、楽しそうです。
お客さんの表情がぱっと明るくなるのを見るたびに、僕も心から楽しい、嬉しいと思えるんです。
お客さんの顔が見たいと思ったホテル時代、嫌な顔やつまらなそうな顔が見たかったわけありません。
楽しそうな笑顔が見たかったんです。
開くタイプのオムライスならみんな笑うだろうと思っています。
僕の芯の部分は
「笑った顔、楽しそうな顔が見たい、その為に出来ることをやる!」
たぶん、こんな感じです。
こうして、2016年10月。
綱島に『ひまわり』をオープンしました。
やること全てが初めてで、何度も失敗してきました。
今、こうして続けられているのは、料理を通してお客さんの“笑顔”がちゃんと見える仕事だからです。
食べた人の「美味しい」が聞こえる。
その瞬間が僕の原動力です。
最後に
「なんで飲食店を始めたの?」
「なんでオムライス屋さんなの?」
その答えは、簡単なようで、ずっと僕の中で積み重なってきたものでした。言葉にすると
「笑った顔、楽しそうな顔が見たい、その為に出来ることをやる!」
それが僕の場合はオムライス屋さんだったんです。
もし、このブログを読んでくれている人の中に、自分のやりたいことに迷っている人がいたら
不安があっても、その気持ちを見ないふりだけはしないでほしい。
もし、僕がお客さんの顔が見えないモヤモヤを認めないで働いていたら、まだホテルにいたかもしれません。
もし、僕が会社で働く事に疑問を感じながらも長いものには巻かれようと思っていたら、まだその会社にいたと思います。
でも、実際はモヤモヤから疑問から逃げて、新しい道へ進みました。
前の職場に残った未来が不幸だとは言いません。
でも、今の僕は幸せだし、多くの人を笑顔に出来ていると自負しています。
もちろん、お店に来る人全員出来ているかと言われると、まだまだです。
クレームだってもらいます。失敗する事もあります。
それでも、今までの選択で進んできた人生が一番幸せです。
嫌な事や不安な事、納得できない事から逃げた人生が一番幸せだったんです。
でも、たぶん上の言葉は説明不足ですね。
嫌な事から逃げたっていい、周りに頼ったっていい、でも最後の1歩の責任は自分でとる。
逃げた事を絶体人のせいにしない。
僕は自分で決めた今だから幸せなんです。
だから、あなたの不安もよく考えて、それで行動すれば絶体幸せになれますよ!
読んでくださって、ありがとうございました。
またお店でお会いできたら嬉しいです。
それでは、ご飯炊いてきまーす!
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